『退屈』が、元々仏教用語であったことを最近知りました。
修行の苦難に疲れ果て気持ちが後退し、精進の気力が萎えて屈することを表すのだそうです。
今は、する事が無く時間を持て余したり、飽きたりつまらない事として使われますが、
由来を知るとそう簡単に『退屈』を使えない心構えが出来るような気がします。
『暇』もまた然りで、
この文字は「未知で大きなもの」「制約の無い茫洋とした時間」を表すそうです。
SCHOOLの語源はSCHOLE。ギリシャ語で『暇』を意味するそうです。
つまり本来の学校とは
「暇な時間が、『自分が自分である為に必要な考え方を確立する最も大切な時間』として存在するのが本来の姿」なのでは…と考えさせられました。
私は『暇』を感じたことがありません。
ゆったり時を過ごしたり、日がなボーッとしていることも少なからずあります。
でも、私にとっての束縛の無い何もしないで良い時間は明日へのリカバリー。
疲れた身体と心を癒す大切な時間です。
すぐに癒える時も多少日数がかかる時もありますが、
前に向かう為のとても大切な休息と栄養のひとときです。
同じように感じていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
暇な時間は、大人にも子供にも必要です。
『退屈』すること無く自分をしっかり持ち、ゆっくり大きく育つために。